育成1

端正な横顔をした半眼で横たわる晃は、人形のようでさえある。

1月11日。持続睡眠状態から10日。
晃は目覚める筈だった。
その為に、徐々に睡眠薬の量は減らされ、一時は「0」にまで落としたのに、目を覚まさない。
いや、正確に言うなら、目は開くが1度開いたら開いたまま、次に睡眠薬を投与しないと閉じることはない。その上、意識レベルも低いらしく、呼びかけにさえはっきりとした反応はない。
唯一、痛み刺激に反応があるのが救いだ。
寝たきりの状態では、体中の関節が固くなってしまうので、毎日1回理学療法士が来てくれるのだが、その時だけは顔をしかめ僅かにイヤイヤをする風に首を振る。しかし、声を上げたり、そちらへ目をやったりということはない。
睡眠状態を保つための酸素吸入や、心臓のチェックの為に取り付けられたゴム盤は取り外されているが、鎖骨辺りと左腕・左腿につけられた点滴は、いつまでたっても外されることはない。

捗々しい変化のない晃に、脳波その他の精密検査が行われた。
結果、脳についての病変は認められなかった。・・・やはり、精神科の領域だということだ。

晃は、睡眠薬なしでは自然に眠れないらしいので、人為的に睡眠リズムをつけて昼夜の区別を体に覚えさせることになった。つまり、夜間だけ薬を投与して昼間は中止してみるという具合だ。

この方法は概ね成功した。
おかげで脳波も夜は眠り、昼は起きている波形に近付いた。
T精神病院にいた頃は“統合失調症の末期”とさえ言われていたのに、リズムを作って以来、正常な波形に変わり、いい傾向だと言われる。
この状態ならいっそ、“統合失調症の緊張型”と言えると診断され少しだけほっとする。この病気の中でも、比較的予後のいいものだし、薬物療法にも反応の良いタイプだから、上手く治療が進めば社会復帰も可能らしい。
そんな説明を聞いて、少しだけ光が見えた気がする。
ただ、今の晃は、自分からは反応できない状態なので、やはり重症な部類に入るらしい。しかし、こちらからの働きかけを受け取ることは出来ている筈なので、刺激に対する反応がスムーズになるように薬で手助けしようと言われた。

鈍磨した晃の脳を活性化させる為、脳血流を増やす薬や、脳機能不全の患者に用いる薬が使われると説明された。所謂“頭を良くする薬”と呼ばれるもので、記憶力の向上や注意力の上昇にも効き、認知症の患者にも効果のあるものらしい。
・・・認知症患者にも・・・。
正直、まだ17歳の晃に、そういった種類の薬が使われることにかなりの抵抗を感じる。
それでも、一縷の望みを託そうと思った。晃の意識がはっきりしてくれるなら、どんな薬だって試したい・・・。



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育成2

栄養面では、高カロリー輸液だけよりも、胃へ直接流動食を送り込んだ方がずっと脳への刺激になるそうで、当面は併用されることになった。
鼻から胃までチューブを通し、日に4回少量ずつ送り込まれるらしい。
導尿するよりも、おむつを当てていた方が尻の不快感を持てるので、一日おむつ使用になった。今の所、股の傷は完治とはいえないが、最悪な頃を考えたらずっと状態は良くなっている。
晃が排尿を教えることは無理に違いないが、感覚を取り戻してくれたら・・・と思う。
寝たきりで、自分では何も出来ない患者の導尿カテーテルを抜いておむつにするなんて、病院側としては手間の掛かることを嫌な顔一つしないでやってくれる。こんな些細な事に、病院の誠意を見る気がする。転院以来ずっと、膀胱へ入れていたものが、やっと1本チューブが外れる。・・・これは、喜ぶべきことなのだろう。

午後1度か2度、1回15分を目安に、晃の上体をギャッチベッドで起こす起座訓練も始めた。
最初は、緩い角度からだが、最終目標は90度。
それと並行して、様子を見ながら、リハビリ療法室での起立訓練につなげる。今の状態で、どこまで進めるか皆目分からないが、せめて車椅子に乗れる体にしてやりたい。何より、少しでも体を起こせば視野が広がって、何かに興味を示すかもしれない。
毎日毎日、天井ばかりを見ているより気も晴れるだろう。
今はまだ、昔の生活に戻そうとか、自立させようなんて考えてもいないが、いつか、晃を車椅子に乗せて散歩に連れて行ってやりたい。
そのうち、一緒に桜を見に出掛けられたら、どんなに幸せだろうか。
それだけが、今のオレの希望だ。

日常的な働きかけ――体を拭いたり、話し掛けたり、身の回りの世話など――は、オレの役割になる。
晃にとって、体を動かされること、流動食を入れられること、おむつを当てられることは、謂わば“不快”刺激になるのだから、それらばかりでは可哀想だろう。精神的にも肉体的にも心地よい刺激――話し掛けなど――も与えた方が、回復も早いだろうと宇梶医師は言っていた。



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育成3

転院して約1ヶ月。

踵のギプスはどうにか外れ、順調に回復しているようだが、晃には何の意味もないだろう。
どれだけ歩けるようになるか・・・は、今後のリハビリにかかっているが、今の状態では全くの未知数だ。
個室のベッドで、胴に拘束帯をつけられ、点滴に繋がれ、相変わらず無表情に横たわっている晃は、朝11時に目覚め、夕方4時には睡眠薬を投与されて眠る。
晃にとって一日は5時間ほどしかない計算になる。
刺激を与えられる反面、休息しなければならないので、19時間にも及ぶ睡眠は不可欠なのだそうだ。

毎日午前10時から午後8時まで営業していたオレの喫茶店は、それでも営業している。
晃の看病の為、完全に休業してしまってもいいのだが、それではオレも気分転換できない。
朝早めに仕込みを済ませて、いつも通りに開店し、ランチの喧騒が落ち着いた頃病院へ急ぐ。その頃には、ベッドでのリハビリも終わっている。勿論、晃が主体的にリハビリできる訳ではないが、錆付いた体を動かされる苦痛に歪む顔を見なくて済むのは、良いことなのだろうか。
冬なのに汗ばんでいる晃の体を清拭し、夕方の睡眠薬が来るまで好きだったCDをかけたり、他愛もないことを話し掛けたりしながら病室にいる。何をしても反応のない病人の傍にいるのは、思った以上に神経が疲れる。しかし、それをしないと、個室のベッドで一人寝ているしかない晃の精神が死んでしまうような気がする。
それに、もしも晃の意識がはっきりした時、傍に誰かいたほうがいいに決まっている。

毎日、これといった成果もないまま、大体、午後5時にはサ店のオヤジに戻る。
こんな風に店主がちょくちょくいなくなる喫茶店だが、それでも常連の子達は来てくれる。
店を空けていられるのも、学生の頃から手伝ってくれているバイト(もうすでに片腕と言ってもいい)の村田降三が留守を守ってくれるからだ。
そうでなかったら、さっさと店を閉めている。
他のバイトの子たちも、昔から知っている馴染みの子ばかりだから、オレも安心して任せておける。いっちんも木村も今年は受験だから、正規のバイトには入っていないが、忙しい時には手伝ってくれる(学校には内緒だが・・まぁ。公然の秘密と言うべきか)。
彼らのお陰で、放課後の学生たちの溜まり場はその役割を果たしていると、言っても過言ではない。

この辺は文教地区なので、大学が2校、高校が3校(内、1校は晃の行っていた新修学園なので、中等部の子達もよく来る)専門学校も2校ある。すべて最寄り駅がオレの店から歩いて5分の学園台駅だから、とにかく学生が多い。お茶を飲みに来ている内に、他校の生徒と友達になるなんてことも良くある光景だ。
昔は、晃もそんな輪の中にいた。

店に来る子達も、いっちん達も晃のことには触れない。
“事件”のことはあまりに有名だし、晃が精神を病んでいるのも皆知っている。(“事件”当時のごたごたで、みんなに迷惑を掛けてしまったのに、今では前の通りだ)普通の病気ならば、見舞いの話も出るのだろうが(実際“事故”の時はよく見舞いに来てくれていた)、今回は音沙汰もない。もしもそんな話があっても、今の晃を誰かに会わせる気にはならなくて断るだろう。
みんな晃のことなど忘れた振りをしてくれている。オレがもし、晃のことを話せば熱心に聞いてくれるだろうが、誰も自分からは話題にしない。それも優しさだと思う。



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