融解2−1

11月 5日 晃の退院を決める。

確かに、まだ少し言葉が不自由だし、精神面ではかなり脆いところもあって、少し早いのではないかという声があったのは事実だ。
しかし丁度、“事件”以来一番良い状態に回復していると診断されたことや、内科での治療がほぼ終わり精神科病棟へ戻るか、「仮退院」くらいの気軽さで自宅でゆっくりさせるか選択できる時期にあったことから決断した。

昔の記憶は相変わらずはっきりしていないし、15の暮れから最近までのことは霞が掛かったようで実感がないらしいが、かなり落ち着いている。
確かに、大怪我をして入院したことや睡眠薬の依存を起こして胃潰瘍まで引き起こしたこと、高等部へ復学したことその後の清野とのこと“事件”のこと・・・は、大体分かっているらしい。
だが、T精神病院以降のことは、病状が悪かったことや強い抗精神病薬の投与等で意識がはっきりしていなかったことも多かった所為かほとんど分からないらしい。
――らしい・・・と言うのは、オレが甥に直接確認した訳ではなく、臨床心理士の判定から判断してのことだ。

薬の量が大分減ってきたとは言っても、やはりメインは精神科の治療だし抗精神病薬や抗不安薬の投与は相変わらずだ。不眠の強い晃にとって「眠れない」ことは、精神の安定を揺るがされる危険があるから、睡眠のコントロールにはかなり気を遣う。
それでも落ち着いて会話ができるし、意識が何処かを漂っていることもほぼなくなったように見えるのは今までを考えたら奇跡に近い。
晃は自分が精神の病を抱えていることを認識しているし、不安定になる自分のことも止められないが、理解できるそうだ。
この点からも、今までのことが嘘のように現状を受け入れていることが伺える。

以前のような赤ん坊でもないし、昔のような生意気なガキでもない。強いて言うなら、高等部へ復学する直前の16の早春、2人でスケッチ旅行をしていた頃の“普通の”晃に近く、素直で可愛い。このままずっとこの関係が続いたら良いと思う。

ただ、そんな中で不安なのは、清野についてどう思っているか掴めないことだ。

こちらから聞いてもしっかりした返答はないし、カウンセリングでもやはり同じらしい。
それなのに、晃は「あの男」のことを聞いてくる。
晃にとって重要なのは「あの男が死んだ」という事実らしく、死亡記事や笈川さんが手に入れてくれた死体検案書のコピーを大事に持っていて、不安発作の薬のように見ている。
さすがに、爪を噛み凝視するその姿は少し心配になるが、これまでの病状から考えたらそれでも異常とは言い難い。現段階で晃が安心できるなら仕方ないと思う。



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融解2−2

早く自分の足で歩きたいと言っていた晃は、補装具を両足に着ければ松葉杖でなんとか歩けるまでに回復している。
過去にリハビリで回復した記憶が体に沁みついているのか訓練室では優等生だった。思い通りにならない体が悔しくて泣くこともあるらしいが、理学療法士の言うには、リハビリを知っているから手順も良く理解しているしこなすのも早かったそうだ。
まだ長い距離は無理だし、これからどの程度歩けるようになるか分からないが希望は捨てていない。

「・・いいの・・?」
心配そうに聞くから頷いてやる。
「・・ほ・・ほんとに・・?」
信じられない・・・そんな顔でオレを見つめる。
「本当に。でも、もう少し体がしっかりした方がいいだろ?だから、K市の勢伊子のところへ行こう。そこからリハビリセンターに通って・・・な?」
言うと、少しがっかりしたような顔をして「・・じゃあ・・・て・・・転院?」と聞く。
「今回は入院しないよ。前の時入院したこと覚えてるのか?」
“事故”の時、勢伊子の夫の久我沼君が整形外科医をしているリハビリセンターへ転院したことを確認する。
「ことばの・・せんせいが・・いた」
K市のリハビリセンターには、ここJ大付属病院にはいない言語聴覚士が常駐していて、以前も言語障害を治療してもらった。そのことは覚えているらしい。今回も、晃がもう少し楽に喋れるようになることを期待している。
「そうだな。言葉と体のリハビリを向こうでして、週1でこっちの精神科に通って・・・忙しいかな。」
元の同級生にストレスを感じて胃潰瘍を患ったこともあるし、1年も前になるが“事件”のことがある。店をやっているとどうしても人の出入りが多いから、晃に余計な刺激を与えてしまう。それを考えると退院後すぐ自宅に戻るのは心配で、勢伊子の家でリハビリさせようと決めたのだ。
「のりゆき・・は?」
「宇梶医師(せんせい)のところへ行く時、迎えにいくから大丈夫だろう?」
一緒にいると晃はどんどんオレに依存してしまうから、少し離れた方がいいに違いない。

「わかった・・・」
目を伏せ、それきり口を利かない。

「・・・大丈夫だよ。」
晃の髪をぐしゃぐしゃと掻き回してそう言ってやった。



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融解2−3

11月12日の夜。
明日退院から1週間になるので、精神科受診の為に晃を迎えに行く。

「最初は馴染まなかったみたいだけど、このところじゃ絵本読んでくれたりいい感じよ?」
1歳11ヶ月の双子に絵本を読んでやるのだと言う。今まで自分のことで精一杯だった晃が・・・。
「あき坊の方が喋れないんだけど、あんまり気にならないみたいよね。」
実果も倫子も女の子だからか言葉が早いし、足の悪い晃に比べたらずっと動きもいい。機能面だけを比べたら、もうすぐ2歳になる子らに負けている。それなのに、2人は夕食が済んで居間のソファに移った晃に、「あっちゃんあっちゃん」と纏わりついている。
「言語の先生も、声を出すトレーニングになるから音読はいいんですって。」
赤ん坊用の絵本だから、文章も短くて丁度良いそうだ。
それに相手が幼児だから、晃も自分の言いようが多少おかしくなっても気にしなくていいらしい。

「でも、ダブルでしつこいから大変なんですよ。」
誠一郎君が、晃の上に乗りかかっている倫子を引き剥がして自分の膝に抱える。
「2人とも保育園から帰ってお風呂までのこの時間帯じゃないと、あき坊に構ってもらえないから必死みたい。」
勢伊子は笑っているが、確かに・・・大変そうだ。
今も、実果が晃の左手を引っ張ってどこかへ連れて行こうとしている。
「・・・ち・・ろうさん、みかん・・・も・・離して・・」
晃がほとほと困って、助けを求める。
「さぁ、2人ともお風呂いくぞ」
誠一郎君が2人を抱えて退場となった。
「あっちゃーん」
実果が名残惜しそうに晃を呼ぶ。まるで、永遠の別れを惜しむ恋人のようだ。

「なに・・が・・いいんだろ・・・」
やれやれと、溜め息を吐く姿が可笑しくて笑ってしまう。



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