再生1

山間の春はいちどきにやってくる。

溶け切らない雪の間から緑の息吹が垣間見え、木々の芽吹きがそここで存在を示している。気温は上がってきたが、まだ肌を刺す風は冷たい。

「大丈夫・・・だって。放せよ。」
駐車場から湖までの雪解けのぬかるんだ道でよろけたのを助けられ、少年はその手を振り払う。
「湖に落ちたら危ないだろ。」
全く、素直じゃない・・・そう、和紗に言われ晃はムッとした顔をする。
「ほら、ケンカしない。エサやるんだろう?」
弘務が少し先の桟橋から声を掛ける。
仕事がひと段落したので、久し振りに休みを取って白鳥の飛来池にドライブに来た。

晃はさっさと和紗の横をすり抜け、弘務からパン屑入りの紙袋を受け取り、寄ってくる白鳥やカモにエサを撒いている。一時は歩くことさえおぼつかなかったが、修理に出していた補装具が直ったこともあり最近では随分ラクに杖を使うようになった。

「だって、弘務さん。せっかくオレが肩貸してやるってんだから、素直に借りればいいじゃないですか。」
和紗は、晃が自分よりも弘務の言うことをきく事が気に入らないらしい。

こうして3人で居ることが自然になって、もうすぐふた月になる。

たしかに瀕死の晃を救ったのは弘務だが、その後の身の回りの世話や、接骨院を営んでいる弘務の祖父の所へ通院の送り迎えをしているのは和紗だ。もう少し、感謝を込めて接してもバチは当たらないだろう。
「和紗・・は・・・過保護なんだ。」
時々不自由そうに口篭る晃は、未だに自分の事を話したがらない。
そんな晃に、和紗は「生意気だ」とぼやく。


「北帰行が始まって暫く経つから、大分減っちゃったな。」
ピーク時には餌場に溢れるほどいた大型の白い鳥はその数を減らして、今では幾分スペースに余裕が見られる。毎年見物に来る弘務には分かる事だが、初めて訪れた2人にはまだ充分沢山いるように感じる。
「コイツらロシアとかから来てるんですよね?よくこんな寒いところに来るよな。寒いところから寒いところへ来なくってもいいようなものなのに。」
桟橋の欄干に凭れて和紗は湖を覗き込んでいる。
「越冬に来てるんだから、コイツらにとってはココの方がよっぽど暖かいんだろ?」
どれだけ故郷の冬は厳しいのだろう。なんだか、信じられないな・・・そう弘務は言う。

「お前らだって。元居た所より居心地がいいから、此処に止まってるんだろう?」
弘務の言葉に、和紗がしらばっくれてニヤリと笑う。
「別に、オレはそんなことないですよ?」
そう言えば、彼が来た時も弘務は何かあったのか問い質すことはしなかった。
「まさか、迷惑ですか?・・・そりゃあ、何ヶ月も我が家みたいな顔されてるんだから迷惑だろうけど。」
目を見張って大仰に言う和紗に、そうではないと弘務は静かに言う。

「ひと休みする所も大切だよな。でも、本来あるべき所って誰にでもあると思うよ。逃げてるだけじゃ先はないだろう?」





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再生2

「かーずーさーぁー」
2人から離れてエサを撒いていた晃が呼んでいる。あまり喋らない彼が大声で呼ぶのは珍しい。
「どうした?」
話している途中で慌てて行ってみると、欄干の隙間からしゃがみ込んで湖を見つめている。
「・・・落とした。」
見ると、1m先でぷかりと晃の杖が浮かんでいる。
「なんで、また・・・あ〜あ、ちょっと待ってろ。」
手が届かないのを確認すると、躊躇いもなくばしゃばしゃとまだ冷たい水に入り、白鳥やらカモやらを掻き分けて杖を取ってくる。
見た目より深かったらしく、膝上までジーンズを濡らしている。
管理人がいたら、大目玉を喰らうところだ。

「大事だろう?なんで落とすんだよ。」
座り込んでいた晃に渡すと立つのを手伝ってやる。
「・・す・・・滑った・・・」
「しょうがないな。気をつけろよ。でも、お前が落ちなくて良かった。」
そんなことを言いながら、晃のニット帽を直してやる。
「・・・悪い」
決まり悪そうに笑う顔が可愛らしくて指で額を弾く。
「こういう時は、『ありがとう』って言うんだよ。」

「和紗、男前だなぁ。女の子だったら惚れちゃうぞ。」
弘務に茶々を入れられて、少し憮然としたようにスニーカーに入った水を出して言う。
「勘弁してください。対象外ですよ。」
その言葉に、呆れたように弘務が言う。

「・・・お前の対象ど真ん中って、どこなんだよ。」

「いいんですか?言っちゃって・・・。」
真面目な顔で見つめられ、今度は弘務が困ったような顔をする。

「――止めときましょう。オレもまだ一緒に居たいし。」
諦めたように笑い、晃の右腕を支えて歩き出す。
「くしゅん。」
大きなくしゃみをひとつする。
「さて、帰りましょう。やっぱ、まださっむいや。」
立ちすくむ弘務に声を掛ける。
「オレが風邪引いたら弘務さんが看病してくれます?そしたら、ずっとここに居ますけど。」
ニヤリと笑う。

「和紗って、時々もの凄く意地悪いよな。」
いつも何事にも動じない弘務が困惑する姿を少し楽しそうに和紗は見ている。





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再生3

普段賑やかな夕食が今日は静かだった。
どれだけ和紗の明るさが場を華やかにしているか、今更に気付かされる。

「へこんでんの?」
早々に片づけを始めた和紗に晃は声を掛ける。
「へ?気にしてたら居らんないよ。」
大体、あのヒトは昔っからデリカシーがないんだよな・・・和紗は1人ごちる。
「ふぅん・・・別にいいけど。」
あまり興味がない・・・そんな風な顔をしている。
「なんだ、いいのかよ。もっと、こう・・・突っ込んでもいいだろ?男が男に告ったんだぜ?」
エライコッチャだろ?もっと驚けよ!泡だらけの手を振りかざして晃に迫る。
「・・・和紗。泡・・飛ぶ!」
「ああ、すまん。」
床に落ちた泡に目を落として我に返る。
「――全く、お前どっかズレてるよ。」
恋愛とか興味ないだろ?そんなことを言いながらさっと床を拭き、食器を片付けていく。
「でも、勢いとは言え今日はちょっと無謀だったな。」
弘務さんの幼馴染の琴樹が近々来るらしいのを知って、少し焦った・・・そう反省している。

「琴樹?」
「うん、。都内でギャラリーやってて、弘務さんの焼き物の様子見に来るんだってさ。」
先日素焼きが終わって、釉薬を掛けるばかりになった弘務の作品が工房に並んでいる。
晃も粘土を弄らせてもらったことはあるが、両手を巧く使えない為作品として仕上げることは出来なかった。

「・・・で、晃。何やってんの?」
滅多に厨房に入らない晃が、湯を沸かしカップを用意している。
「コーヒー・・・飲む?」
丸椅子に腰掛けて首を傾げる。
「ってか、何故茶コシ!?ちゃんとドリッパー使えよ。」
和紗の頓狂な声を聞いて、リビングに居た弘務までやって来る。

「日本茶じゃねぇーんだぞ?」
・・・大丈夫かよ。
不安そうな2人を尻目に、晃は丁寧に湯を注いでいる。

「うま!何コレ、なんで?いつもの豆だろ?」
オレが淹れるのよりずっと旨い・・・そうだろ?弘務さん・・・昼間の気まずさを忘れて、すっかりいつも通りの和紗に戻っている。
「本当だ。なんで?和紗も結構上手いけど、晃すごいな。」
だって、茶コシだろ?ペーパーフィルターも使わないなんて、和紗よりもよっぽど大雑把じゃないか・・・弘務までそんなことを言うので、晃はくすぐったいような顔をする。
「紙のフィルターは紙臭くなるから。ネルドリップがいいんだけど、布は洗ったり面倒だし。濁るけど、結構旨いよ。」
サーバーで直接コーヒーを蒸らして茶コシで漉すにはちょっとしたコツがある。昔、叔父の店で覚えた淹れ方だが不思議と手は覚えている。

普段無口な晃が滑らかに解説するので、2人はまた不思議な顔をしている。

「ウチ・・・サ店だから。」
目を伏せ、そう呟く晃はいつもの様に少しだけ口篭る。




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