薄明1

晃が車椅子に慣れ、散歩の許可が出たのは4月。
実家の桜を見に連れて行った。
あの時は、興奮させてしまって可哀相なことをした。


あれから一週間。

相変わらず、晃は病院支給の膝丈の病衣を纏っているだけで、ズボンも穿かされていない。
排泄を教えられない為に当てられた紙おむつと、夜間の点滴を繋げるアダプターが右腿に設置されているから、もうずっとこんな格好だ。

それでも、散歩に出る10〜15分の為に着替えをさせる手間が惜しいので、上半身にジャージを着せつけて、膝掛けで腰から下をくるむだけで済ませてしまう。肌寒い時は綿毛布を掛けて。
鎖骨辺りに繋がった点滴を架台にセットすればいつでも出掛けられる。


晃は無表情で自分の膝に目を落としている。大分、目線がしっかりしてきてぼんやり宙を見ていることは減ってきたが、言葉はほとんど出ない。
散歩に出ても晃は周りに目をやることもなく、耐えるようにじっとしている。
これを緊張状態というのか、こんな風な甥を見ていると、外気に触れること、知らない人間を目にすることが本当に良い刺激になっているのか掴めない。

反応の良くない晃と病院の庭を一周する単調さに飽きてきたオレは、いつもなら1人で行く本館地階にある書店へ連れて入った。
フロアの約半分を占めるこの書店は外部にも開かれている所為か、いつも適度に混んでいる。
晃は、こんな風に見知らぬ複数の人間と身近に接したことがないからか、それと知れるほど緊張している。

――パニックを起こす前に引き揚げた方が良さそうだ。


まず、オレ用の車雑誌を選び、晃には言葉の勉強に絵本を買おうと思った。

「あき坊にも何か買ってやろうな・・・。何がいい?」
別に、返事を求めている訳ではない。言葉が出なくても、何か話しかけた方が快復に役立つ気がするからそうしているだけだ。
独り言のように言いながら売り場を移ろうとすると、晃がなんとなく身じろぎしているように見えた。よく観察すると、平積みにされているバイク雑誌を凝視している。
――昔、購読していた雑誌だ。


「それがいいのか?」




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薄明2

積んである中から一冊取って、晃の膝にポンと置く。
――こんな風でも、どこかに 「何か」 が残っているんだ・・・・・・そんな事を思うと不思議な気持ちになる。

晃は一度オレを見、そのまま穏やかに膝の雑誌に目を落としている。
さっきまでの緊張もなく、なんだか妙な感じだ。


病室に戻り、ベッドに端座させて足を擦ってやる。
晃にとって車椅子に乗ることは疲れるのだろう。浮腫んだ足にオイルを塗ってマッサージしてやると、気持ちがいいのか口元が少し笑う。
仰臥させて、指の関節から曲げてゆき膝を深く曲げ――左膝は固定されているので、ほとんど曲がらない――股関節を開くと痛むのか少しだけ顔を顰める。
着崩れた病衣を直して、濡れタオルで手と顔を拭ってやる。布団を掛けてやるともう4時だ。睡眠薬の注射が来て晃の"一日”は終わる。

「今日は散歩の時間、延びちゃったから疲れたろ?」
言いながら枕の位置を決めてやる。
「・・・・・・」
何か言いたいのか、口を開くが声が出ない。
「どうした?」
聞いて返事があるなら苦労はない。
漸く、床頭台の上を見ようとしているのに気付いてやっと分かった。

でも・・・こんな物、今のコイツに解るんだろうか?それでも、晃は止めようとしない。

「分かったよ。一緒に見よう。」
ベッドに腰掛け、晃の上体を抱くようにして雑誌を開いた。
しかし、絵本と違うしどうやって読んでやればいいのか分からない。パラパラとページを繰るだけですぐに終わってしまった。

「・・・・・・」

食い入るように見ていた晃だが、また何か言うように口を開く。最後まで見たのに・・・。
「終わりだよ?」
言っても、オレの顔と雑誌を交互に見て訴える。
「じゃあ、もう一度・・・な?」
ずり落ちてしまった晃の体を抱き直して、今度は1つ1つバイクを指差し丁寧にデータを読んでやる。

晃は、満足そうにページを見つめている。






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薄明3

「あら、あき坊くん。本読んでもらってるの?いいわねぇ。」
看護師が点滴と注射を持ってくる――晃の表情が急に硬くなる。

「何か、気に入っちゃったみたいで。このまま、眠るまで読んでやっていてもいいですか?」
喜んでいるらしいのに、途中で止めてしまうのは、可哀相な気がする。
「いいですよ。でも、用意しちゃいますね。」
看護師は、慣れた手つきで晃の左手をベッドガードへ固定し、口を開かせマウスピースを噛ませる。
「ちょっと、チクンね。」
と言いながら、左肩へ睡眠薬の注射をする。掛け布団を捲り右大腿のアダプターへ点滴を繋げ、中心静脈栄養の点滴バッグも新しいものに交換する。

もう毎日の行事で慣れてしまったが、晃が切なそうな哀しそうな顔をするようになったのはいつ頃からだったろうか・・・。
初めの頃は無反応だった。
その後暫くは「嫌」と言い、泣くこともあった。
最近では、無言で耐えている。

「あの・・・。眠ったら必ず噛ませますから、マウスピース・・・今だけ外してやっていいですか?」
自殺未遂以来、オレが付き添えない時と夜間は噛まされているそれが、今日は余計に辛そうに見える。
「・・・・・・じゃあ、必ずして下さいね。」
そう、外してくれた。
本当なら、晃に施される固定は眠った後からでも十分な筈だが、手間の合理化か注射の時に一度に行われる。

膝に抱いた晃は、もう眠そうな目をしている。
いつもなら、注射をされて5〜10分で熟睡してしまうのに、今日はそれでも一生懸命目を開いて雑誌を見ようとしている。
「眠っていいんだぞ。また明日も読んでやるから。」
言っても、晃は眠気を振り払うかのように首を振る。
しかし、強い薬の為にすぐに目が閉じてしまう。晃は辛そうに首を振り、固定された左手を振り回そうとするが、やがて静かになる。

「・・・・・・っく・・・・・・」

眠りに落ちる寸前、閉じた目から涙を零して漏れた言葉とも嘆息とも取れない欠片が心に刺さる。


オレは、余計なことをしたんだろうか・・・。
晃の口にマウスピースを噛ませながら思う。たかが5〜10分雑誌なんか見せるより、静かに眠らせてやった方が良かったのではないか・・・。

晃が本当に何にも関心を示さないのは病気の所為だと思っていたから、こんな風に少しのきっかけで変わることが分かって、嬉しい反面余計に切ない。
17歳の少年がバイクに興味があるのは、至極ありきたりのことなのに、悲痛にさえ感じてしまう。






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